「ピーチク・パーチク」問題(その6) 最後に


「ステラ」のインタビューによると、渡瀬恒彦さんは、
落語について、こんな結論に達したそうです。
(カッコ内は、マメ太郎の補足です)

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(チュンチュンが)非常に気持ち悪くて、お願いして、「ピーチクパーチク」に変えてもらったんですよ。でも2〜3か月やっていて、わかりました。落語にとってはそんなことは、どうでもいいんだってことだ。もっと鷹揚に構えて、お客さんを楽しませるものなんです。
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落語という芸能では、
「ピーチク・パーチクか、チュンチュンか」
といったトリビアな問題は、どーでもいい。
落語というのは、ひと言ふた言のちがいでは、
揺るがない存在である
というのが大意でしょう。(注)


しかし。
神は、細部に宿ります。
ひとつひとつの「ことば」を吟味しないことには、
10分間の前座ばなしでも、腑抜けます。


演劇サークルに入部した大学1年生や、
俳優座養成所に入所したばかりの役者の卵が、
「ステラ」のような雑誌で、
こう答えていたら、どう思いましょうか。

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芝居の稽古を、2、3ヶ月やってわかりました。役者にとっては、台本のせりふの一言一句なんて、どうでもいいんだって。芝居っていうのは、もっと鷹揚に構えて、お客さんを楽しませるものなんです
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観客を笑わせようとする演芸でありながら。
どうしたら面白くなるかを、徹底的に突き詰めたがゆえに、
神経に変調をきたし、
首をくくった上方落語家がいます。
また、大看板だった父親の名跡を襲名したものの、
その重圧にたえかね、
命を散らせた江戸落語の若手もいます。


古今亭志ん朝が、若くして亡くなった折。
立川談志は、
「もっと落語が、うまくなりたかっただろうな」
とライバルの無念を代弁し。
それを聴いていた春風亭小朝が、
「どうしたら、うまくなるんですか?」。
談志は、「それが、わからないんだよ」。
昭和・平成の才能、3人が3人して、
「どこを、どういじったら、もっと面白くなるか」
わからず、もがいているのです。
「落語って、そもそも、なんだ?」と
悩みつづけているのです。


本稿は、ドラマでの脚色や
インタビュー記事での片言隻語をとりあげて、
拡大解釈するのが目的では、ございません。
ですから、NHK大阪や、渡瀬恒彦さんについて、
けしからんなどというつもりは、ございません。


ただ。
「ピーチク・パーチク」問題に関しては、
現代的な感覚を優先させすぎた
「勇み足」です。
さらに。
それらの経緯を説明したはずの
「ステラ」インタビューにしてからが、
コアな上方落語ファンはもちろんのこと、
マメ太郎レベルの落語愛好者ですらも、
「あれ?」と首をひねらざるをえない
内容でした。


だからこそ、
「ピーチク・パーチク」問題を奇貨として、


・ 落語が、長い歴史でひとつの「型」を培ってきたこと
・ 門下によって、その「型」も異なること
・ 笑いをとり、現代にも通じるようにアレンジし、かつ伝統をまもるという縛りの中で、落語家は、もがき苦しんでいること


そこんとこを、
わかっていただければと、存じます。


(注) この部分。「ステラ」の記事は、接続詞や指示代名詞があいまいなため、「そんなこと」が、「細部にこだわる自分の性分」(つまり、自己反省)や「落語家が、師匠の言う通りに、高座をつとめていること」(つまりは、落語家批判)とも読めなくもありません。しかし、いずれにせよ、大意は、かわりません。