「ピーチク・パーチク問題」(その5) 「哲学」篇


結果的に、
この「ピーチク・パーチク問題」によって、
ドラマの意義さえ、「ちょっと」と
思わせてしまったところがあります。


憶えてますか?
B子(貫地谷しほり)が、稽古をしたてのころ。
上(かみ)、下(しも)を、よーく間違えていました。
ひとり2役をこなす落語では、
目上の人に話しかける場合は、演者は左を向く
という決まりごとがあります。
どっちゃでも、エエと思います。
まったく逆にやったって、笑いの量・質とも、かわるとも思えません。
しかし、草若師匠は、それにこだわります。
いや、こだわるというレベルではなく、
それができんかったら、高座にはあげへんというくらい、
必須中の必須事項なのです。


なんで、上下(かみしも)を、
キッチリ守らな、あかんのか?
「そうなっている」からであり、
「それが落語だから」であります。
もっと具体的にいえば。
「左遷」ということば。あれ、日本というか古代中国では
「左」が低い身分の居場所だからであります。
忘年会や結婚式の席次、
あれも、上手下手(かみて・しもて)に
のっとって決められます。


すっかり忘れられたようでありながら、
「序列」は、平成での日本でも、
ちゃんと根づいています。
落語での上下(かもしも)も、
そんな序列における
基本中の基本型なのです。


長年、づーっと続いてきた決まりごとには、
なにがしかの理由があるのです。
だから、10年なり100年なりたって、
その理由が失われたら、
その決まりごとは、自然消滅するでしょう。


上下(かもしも)のシーンで、
そんな伝統芸能としての落語を的確に描写しつつ。
ピーチク・パーチクでは、いともやすやすと、
一言一句をおろそかにしている。
そのギャップに、
「なんだかなぁ」感が、ただようのです。


人間国宝桂米朝の著書
桂米朝 私の履歴書』(日経新聞社)に、
こんな記述がございます(82ページ)。
師匠の桂米団冶の稽古について、です。


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稽古する時は、私ら弟子にこんなことをいった。「いいか、私は師匠の三代目(米団冶)に教わったとおりに教える。自分は今は少し変えてやっている。変えたのにはそれなりの理由があるが、君らには原型に戻して教える。将来は君たちも自分の考えで変えていったらいい。今はとにかくもとの姿をきっちりと覚えることだ」と。
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まさに、そうなのです。
アレンジは、していいのです。
ただし。
先人が長い年月をかけて培ってきた型には、
それが残ってきてだけの理由があります。
だから、実際に、何十回何百回もお稽古をかさね、
師匠以外の落語家のバージョンも勉強して。
間(ま)だけかえてみたり、
ことば自体をかえてみたり。
そうやって、ひとりの落語家の中で、
10年20年もの歳月をかけて試行錯誤した上で、
よーやく「このアレンジ、いいのかなぁ」と、
わかりかけるものです。


ですから。
落語をテーマにしたドラマでは、いかんのです。
ひとりの俳優の、ちょっとした疑問で、
何十人何百人もの落語家が研鑽をかさねて、
長年、培ってきた「型」や「ことば」を変えては。