「神の目」を 授けられてもぉ


2008年2月5日(火)、第105回の『ちりとてちん』。
ちがう。ちがうんだよなぁ。


今日は、大きなうねりが、ひとつ。
5人の弟子を集めて、
草若師匠(渡瀬恒彦)が宣言したんは、
「常打ち小屋を、作る」。
ついては、天狗芸能の鞍馬会長(ゴリさん)に
相談するそーです。


でも、以前も失敗したことがあったみたいで、
四草くん(加藤虎ノ介)に、たしなめられました。
さすがは四草くん! エラいぞ。
落語家と、演芸場の運営者は、
まったく使う能力が ちゃうもんやから、
ゆめゆめ、手なんか出したら、あきません。


ここで。ふたつ、疑義をはさんでよろしいでしょうか。
まず、「常打ち小屋」騒動。
ここまで、100回の余、「ちりとて」を見てまして。
そりゃ、草々(青木崇高)が
「常打ちの小屋をつくるのは、大阪の落語家の悲願なんや」
ぐらいのセリフは、ありましたけど。
小屋づくり、って、
そんなスペシャルなテーマでは なかったやないですか。


まっ、大阪に「天満天神 繁昌亭」とゆう寄席がでけた
タイミングからも、「小屋は、どうなる?」は、
全国の落語ファン、関西圏の視聴者にとって、
お約束のテーマではあったわけですが。


ラ・マンチャの男」ふうにいいますと、
草若師匠の 最期にいだいた「見はてぬ 夢」が、
「常打ち小屋」だったという 展開は、
そ、そんなご無体な
ハ〜、レ〜(帯をグルグル)状態です。
要するに、金策と、
マネイジメント能力ってこってすからね。


「寄席をつくる」って、
いっけん 男のロマンみたいで
カッコいいですが、あにはからんや
ドラマの進行とともに、必要とあらば、
マメ太郎ごとき 私見ですが、
述べさせていただければ、と存じます。


そして、もうひとつ。
「地獄八景は、教えられん」
「師匠の命令にそむくんやったら、破門や」
「すまんが、部屋、でてってくれ」


それで、若狭(貫地谷しほり)は、「嫌われてる」と
アセるわけですけど。


(1) 師匠が、最近、キビしい。冷たい
(2) 嫌われてんのか、とアセる
(3) 常打ち小屋つくるなんて、ことも言いだす
(4) 弟子一同、いぶかしがる
(5) 実は、師匠の余命は……


だったら、理解の範疇(ワンチューは、ミック・ジャガー)。
要するに、視聴者に(5)を最後まで伏せておいて
「なんでだろ」効果を高め、
いよいよ、で、(5)なんじゃぁ!
これが、作劇術って ものですやろ。
でもでっせ、


(1) 師匠の余命は、いくばくもない
(2) 師匠が、最近、きびしい。冷たい
(3) 「嫌われてのか」と、アセる……


と、まず視聴者に、タネあかし されてますとね。
テレビの前で、どうリアクションしてよいか、
困っちゃうのです。


ドラマに限らず、芝居でも小説でも、
視聴者(観客、読者)に、どこまでの情報を与えて、
どこからの情報を伏せるかは、
作品の完成度を 大きく左右する要素ですが。
第18週目〜19週目にかけては、
あえて、視聴者に「神の視点」(=すべてお見通し)を
授けたことが、いい効果を与えていると思えへんのですが。