玉三郎セオリー


2008年1月29日(火)、第99回『ちりとてちん』。
第18週「思えば遠くに すったもんだ」です。


なにやら、回想が多くって。
過去を振りかえるのは、ちょっとあきた。
草原にいさん(桂吉弥)と四草くん(加藤虎ノ介)が
ゲスト出演していた「土曜スタジオ・パーク」でも、
「徒然亭の過去が、今 あかされる」と
喧伝されてましたけど。


それから。
ナニワの主婦代表のナレーションで、
「草々にいさんは、師匠のことばは、最近になって、
 その意味が、わかるようになったといいます」。
ジャーン。「DEATH  of  草若師匠」。
ゆるやかな、確実な「死の行進」が 始まってるじゃーん。


ひとつだけ、疑義を。
落語は、300年かけて男がこしらえてきた芸能だから、
女流の若狭(貫地谷しほり)には、限界があるってゆう
「草々セオリー」、
いかがなものでしょうか。


歌舞伎の女形である
坂東玉三郎セオリー」によれば、ですね。


舞台で演じるということは、
実人生の人格すべて(性別も)を捨てて、
役になりきること。
だから、女優が女性の役をやるより、
男である私が、女の登場人物になりきる方が、
かえって、ラクなんですよ、
という趣旨の発言をされていました。


まぁ、話芸と演技、
落語と、歌舞伎の女形の歴史の違いもあり、
一概には、いえませんが、
ちょっと「女流落語家の限界論」は 机上の理論。
この「草々セオリー」をもって、落語家としての若狭に
なにかが起きるとしたら、かなり強引
という思いを強くしました。
↑ って「月刊テレビガイド」の月曜日のところが
たまたま目にはいって、知っちゃったんですぅ、これからの展開。


たとえば、濱田マリちゃん(元・モダンチョキチョキズのね)が、
あの語り口とセンスで、本格的に落語修業したら、
男流落語家にも、まーったく、ひけはとらないでしょう。
草々セオリーの眼目が、いまひとつ つかめず、
もう少し、つっこんで考えたいとは思いますが。


今週のテーマ落語は、「饅頭こわい」ですね。
どなたでも噺の大筋は、ご存知でしょうけど、
アナタの知らないワールドがあるのですぅ……(続く)