異論 反論 「たちぎれ線香」


2008年1月28日(日)のブログ
→ 衝撃の「たちぎれ線香」 - 「ちりとてちん」徹底解剖ブログ
に対して、異論をいただきました。


「番頭の名誉を回復する会」の会長でいらっしゃる
「藤は紫」さんからです。


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1月28日「衝撃のたちぎれ線香」を読みましたが、
あの番頭についてのマメ太郎の見解に異議あり!!です。


確かに番頭はお店大事のあまり若旦那を蔵に押し込めはしますが、
小糸に対しては、憎さに凝り固まっているわけではありません。
初期の米朝の演出がどうだったかや、
紹介されている文枝CDでどうなっているのかは知りませんが、
最近の上方の噺家が演じる番頭像では、
たとえば蔵から出た若旦那が、小糸に会いに行こうとするのを黙認しています。
蔵から出た若旦那に、まず風呂を勧め、こざっぱりした着物に着替えさせる。
その上で、お父っあん・おっ母さんにご挨拶を、というのですが、
若旦那は蔵の中で天神さんに願をかけたから、その願ほどきにお参りに行きたい、と言う。
見え透いた嘘です。
その嘘を番頭は承知でだまされたふりをして、
父母に挨拶をするより先に天神さんにお参りに行くのを認めるのです。
そして若旦那に財布を持たせる。
若旦那がそんなものはいらないというのを、番頭は、
「持っていっても邪魔になるものではおまへんし、
また表に出たらどなたさんに会うかもわからんので」といって若旦那に財布を持たせます。
若旦那が蔵から出たら紀ノ庄へ飛んでいくのを承知の上の計らいではありませんか。
お供に丁稚をつけるのですが、
その丁稚が邪魔だったら、さっさと帰してかまわない、とも付け加える。
すべて承知の上のメッセージです。
最近では、蔵から出てきた若旦那に番頭が「ああいうお茶屋にもどうぞお行きあそばせ。ただし、遊びにお行きあそばせや」と諭したり、
さらには江戸の落語「山崎屋」の番頭よろしく、
「毎日よこしていた手紙が百日続いたら、大旦那がどんなに反対しようが
自分は若旦那と小糸とを結びつけるつもりだった」と番頭に言わせる演出もありますが、


そこまであからさまに言わせることの当否はともかく、
それが成り立つ人物造詣は、「たちきれ」の中ですでに十分にされていると思います。


まさか小糸が死んでしまうとは。
これは若旦那と小糸だけの悲劇ではなく、
実は番頭の悲劇でもあったのです。


小朝の高座を聴きもせず申し上げるのは何ですが、
八十日で蔵を出しますか・・・。
そこまでしなくても、番頭の悲劇はすでに現行の演出で十分だと思うのですが。


以上

番頭の名誉を回復する会
会長  藤は紫


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小朝さんのアレンジを、画期的! とご紹介したのですが、
少なくとも 現在の演出でも、
番頭さんの良心は、よ〜く伝わってくるという趣旨です。


「お店・至上主義」とか、
「色街の恋も 80日」を、
拡大解釈して 表現してしまったようです。


「藤は紫」さま、ご指摘、ありがとうございました。
番頭はん、ワル者に仕立ててしまいまして、すみません。